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Column ダンスの窓
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撮影:西園佳代 |
舞踏はオドリです。オドリは見せるものです。つまり見せ物です。サーカスや村芝居や曲芸団と同じです。アートではありません。昔、青空を見て「バカヤロー!」と怒鳴った男がおりました。毎日毎日何十年も畑を耕していた老婆が突然夕日を追いかけて帰ってこなかったことがありました。ニワトリの卵を身体で暖めてヒヨコを産んだ人もいました。舞踏家とはそのようなワケのわからない人たちのことなのです。そしてオドリとはもともとワケのわからないものなのです。そのようなワケのわからない面白さが舞踏だけに存在するのです。
しかし、誤解してはいけません。舞踏は料理と同じです。とてもシンプルです。おいしくない料理がダメなように舞踏もおいしくなくてはダメなのです。その料理の素材はカラダというものです。そしてそのカラダという物体にほんの少し電気が流れ、空間がゆがんだ時に舞踏が現われるのです。その舞踏がおいしいかおいしくないか、それはその時の空間のゆがみかたで決まります。ゆがめばゆがむほどおいしい舞踏ができるのです。狂った人が勝つのです。
しかし誤解してはいけません。キレイに狂う必要があります。それまで見えなかったものが見えたり、あるはずのない何かのニオイがしたり、いないはずの人の声がきこえたり・・・そして舞踏家はゆがんだ空間を小指で引きよせてアバラの陰にかくしてしまいます。10月の舞台ではそのかくしたモノをみなさんにおいしく食べていただきたいのです。
栗太郎 (くりたろう) / 舞踏家 栗太郎+古舞族アルタイ 主宰
>> 土方巽の創造したメソッドを根底に、失われていく日本の伝統芸能の根源のソウルとエネルギーの肉体化を目指す。 |
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