Alternative Media Gathering #2 #3
「北欧からの風、南米からの太陽」

#3- 2/13(日)ゲスト:アスケ・ダム
#4-3/3(木)ゲスト:ダニエル・デル・ソラーム


2月13日には、ノルウェーを拠点に活動するアーティスト、アスケ・ダム氏によるプレゼンテーションが行われた。日本の陶芸、写真、ビデオアートを経て、70年代後半に日本各地のケーブルテレビを視察して、地域コミュニケーションの有り様を調査。稲取東伊豆、津山などのケーブルテレビを記録。手作り感あふれる番組作りが魅力的で、手動で回す「テロップマシーン」など素朴な機材を駆使した自主放送に感銘を受けた。

北欧でのコミュニティテレビに関わり、レーザーディスク事業に失敗した後、コンピュータの性能向上・記録媒体の大容量化・低価格化による「放送と通信の融合」を理解。現在各国のメディア事業者のコンサルタントを務め、CreativeCommons やメタデータの技術にも詳しい氏にとって、たとえばHDDレコーダはデジタル情報のハブだ。携帯電話も以前は高価だったプロレベルの撮影機器である。それを実証するためアスケ氏は携帯電話のためのマイクや照明機具、三脚を自作してみせる。身近な道具がそれだけの能力を持つ時代に、映画のデジタル配信のようなありきたりの発想を超え、ワークショップを活用した情報共有、民主的な議論、協働のために集う場-E-Cinema-を構想する。

社会科学者に市民権を護る批判的役割を求める一方、アーティストにはメディア表現の先駆を期待。造詣の深い民芸運動の場合に、理論家柳宗悦と手を携え、実践家の浜田庄司が、益子焼きに「用の美」を具現してみせたような「プロトタイプづくり」の意義を訴え「デジタル時代の民芸運動」を力強く語った。

3月3日にはサンフランシスコのメディア実践家、ダニエル・デル・ソラール氏を招いた。ビートニクスの詩人・写真家だった氏は、70年代に「発言の自由」を掲げるFM局KPFAに関わって以来、活動を通じてラテンアメリカの文化に寄与してきた。80年代には、合衆国軍事介入下のニカラグアやピノチェト独裁下のチリで、粉川哲夫氏の協力を得てミニFMの自由ラジオを展開、コミュニティを再生して事実を伝えた。アジェンデ政権に対するピノチェトのクーデターにニクソン政権下のCIAが関与していたことは後に暴露されたが、20年経ってからでは遅い。真実を伝えようとするコミュニティメディアにとっては速度(Velocity)と頻度(Frequency)が重要なのだ。

オルダス・ハクスリー『知覚の扉』によると、中世の西欧社会では教会が唯一のメディアだった。そこでは、幻惑的な雰囲気のなかで新しい情報がもたらされ、人々の知覚、善悪の判断はすべて教会に支配されていたという。それから五百年経った今、わたしたちの知覚は閉ざされていないだろうか?そんな問いかけの後、2002年ベネズエラのクーデター騒動にまつわるビデオを見た。

事の前後を分析したドキュメンタリーで、そのクーデターが巧妙に仕組まれた「メディアイベント」だったことを暴露している。テレビ局は事前に押さえられて、チャベス大統領罷免宣言も実際に暴動の起こる四時間前に用意されたものだった。民衆の圧倒的な支持で大統領は数日後に復帰したが、合衆国は既に政権転覆歓迎を公表していた。

このドキュメンタリーは、合衆国でも未だ放送されないという。わたしたちは、今も教会の中にいるのだろうか?

text:桜田和也(remoスタッフ)