乱暴な感じでいこうと思う。先日、「つまらないダンス」を見た。
「臆面」という言葉がある。恐怖は緊張をよび、緊張は「(殺されないための)技術」と「それ(緊張)の解放」を要求するだろう。いわずもがな、必ずしも「技術」とは「作品の良さ」にとって常に必要とされるものではない。しかし、だ。技術の前に「緊張感」がない。つまり彼等はそもそも「臆していない」のだ、と思った。昭和49年生まれの日本人の私には観ていてリアリティーが持てない。彼等ははたして「心臓に毛が生えている」ような豪傑であるのか?
そうではないと思うのだ。そんな人ならなんかまた違った何かが私にぐっと来ていたはずだ。彼等は図太いのではなくて、「他に対して鈍い」のだ。全てのジャンルの全ての表現者にとって、「感覚の鈍さ」というのは致命的だと思う。幸い私の知人友人のダンサーたちは、皆一様に腰が低く(笑)礼儀正しく、「被害者意識」「加害者意識」に連結した「健全な、過剰な自意識」をもっている。そんな彼等彼女らにぜひ、はびこり始めている「閉じていて、且つ過剰な自意識」を糾弾していただきたいのだ。それは、あなたたちがやらなければだれもやらない。とかいいながら、演劇に於いても同じ問題は起こりつつある。
田中遊(正直者の会) >> 自身俳優として多数の公演に出演する田中遊の作品を定期的に発表する場所として1997年より活動を開始する。各企画それぞれで役者、スタッフを集めて公演をするためメンバーは田中のみ。多人数の役者によるお芝居から2003年より展開している田中遊の一人パフォーマンスまで、つまり…田中遊が中心となってすすめる創作活動およびその公演=正直者の会です。2/11・12に[大阪BABA]にて正直者の会『円卓』を上演! |
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