リュミエール兄弟が動くイメージ「映像」を鑑賞する仕組みを開発して以来、エンターテイメントとしての商業映画が発展していく一方で、フィルムを用いたあらゆる表現に関する実験が繰り広げられ、数々の手法や作品が生み出されるとともに、映画が成熟するプロセスの一旦をも担うこととなりました。その後、テレビやビデオなどの出現により、ビデオアートと呼ばれる作品が生まれているように、アーティストは常に、同じメディア(媒体)を使いながらも、既存のメディアの在り方を検証し、異なった視点でそれの持つ特異性を見い出し、その可能性をあらゆる方向に拡張することで、新たな表現を創造し続けています。今後、さらに増殖していくであろう多種多様な映像表現のアウトプットは、既存の映画館やテレビ、そして美術館のみにとどまることはないでしょう。

 

映像に関連するトピックをこうしておよその時系列に並べてみると、いわゆる「作品」として扱われる映像の流れがあるのと同時に、監視カメラ、胃カメラ(ビデオスコープ)、電化製品などの取扱説明ビデオといった流れも見えてきます。それらは独立した「作品」としてではなく、何かをより詳細に、より確実に知ろうとする時に有効な機能を持った道具として、映像が利用されようとしていることを示しています。つまり過程(プロセス)としての映像の活用です。このような流れが、携帯電話の契約台数(8000万台)のうち64%がカメラ付の機種となった今、人々が身近な道具(文房具や実用品)として更に映像を活用する状況が、近い将来訪れて来るであろうことの予測を容易にしています。また、80年代の半ばからほぼ世界同時的にVJ(Video / Visiual Jokey)と称される人々が活動を開始します。クラブなどで始まったとされるこの動きは、DJが音楽によってその場を演出するようにVJは映像/視覚でその場を演出します。驚くことにこれは、映像をストーリーや何か具体的な情報を運ぶメディアとしてではなく、場を演出する素材のひとつとして広く用いようとする態度の誕生を示しているでしょう。

 

1972年、比較的早くからケーブルテレビの普及した合衆国において、アメリカ連邦通信委員会により、すべてのケーブルテレビ局に設置を義務付けられた制度。大資本メディアによるテレビの寡占を避けるため、アーティスト、アクティヴィストの抗議活動に応じて制度化されました。地域の住民が使用するための専用チャンネルであり、公共サービスとしてフランチャイズ契約に基づき運営されています。
パブリックアクセスの草分け的存在といわれるペーパータイガーTVは「情報産業の神話を打ち砕く」という標語を掲げ、ディープディッシュTV衛星ネットワークは同様の各地のパブリックアクセス・チャンネルを結び、合衆国全土に中継しています。日本では、熊本ケーブルネットワークが「使えるテレビ」と銘打ち、「住民の住民による住民のためのテレビ」 の実現を目指し番組を制作し、慶応大学湘南藤沢キャンパスの大学生が中心になってはじまった[湘南テレビ]や、インターネットを手始めに北海道におけるパブリック・アクセスの拠点となっている[シビック・メディア]など、全国で様々な動きが始まりつつあります。
同時にインターネットが身近な存在となった現在では、この考え方を推し進めた新たなパブリック・アクセス手段、デジタル・スタッド(デジタル都市の意)という発想も登場しています。94年に生まれたインターネット上の都市コミュニティーであるデジタルスタッドというこの発想は、誰もが自由にメディアを持ち、表現し、メディアを通じて直接的な社会参加を実現できるようにしようという意図を持つものとしています。