司会(remo甲斐):(SAPのような)動きが、世の中的にどういう位置にあるのか、そのもの自体が都市というものを考えたときにどう起こってきたものなのか、もう少し視野の広い視点で先生方に語っていただこうというのが、この第二部です。
 
 
 
 

 
>> トップバッターは、大阪市立大学の佐々木雅幸教授です。創造都市論がご専門とあって、世界のさまざまな事例の紹介を、まるで地図の上を疾走するかのごとくたくさん紹介してくださいました。

バイオテクノロジーやハイテク産業などに日本は力を入れるべきだ、とよく言われていますが、そのためには創造的な人材が必要です。私は、芸術の創造性と科学技術の創造性はお互いに刺激し合う、シナジー効果があると考えています。同じようなことを言っている研究者がアメリカにいて、リチャード・フxロリダという人です。(中略)そういう人々(=アーティスト)が集まる所にはハイテク産業で働いている人々も集まってくるということを、統計的に分析し説明したわけです。今、フロリダ氏の理論が世界でもてはやされていますが、彼は、こういうハイテク産業や芸術分野で創造的な仕事をする人たちを総称して、「創造階級」と呼んでいます。そして、創造階級が増えていく都市こそ21世紀型だと言うんですね。

ボローニャがミレニアムの2000年に取り組んだ「ボローニャ2000」という文化イベントがあります。若い世代の市民の積極的な参加を目指すとともに、文化消費だけではなくて、今日のシンポジウムのテーマでもある「文化の生産と創造的発展」を目標にしたものでした。つまり出来合いの文化を消費するだけではなくて、新しいものをつくっていくというところにポイントがあります。そうしてはじめて、大阪市が言っているような文化集客につながるわけで、(中略)大阪の中にある本来の資源を活かしながら現代アートや文化を生み出すことが重要で、そういうことに取り組んでいる都市の方が成功していると言いたいわけです。

 
 
 
   
>> ニッセイ基礎研究所 芸術文化プロジェクト室 室長として、全国各地の文化事業に関わっていらっしゃる吉本光宏さん。当日は、EU圏のアートスペース視察から戻ったその日ということで、見てこられたばかりの事例をたくさん紹介してくださいました。

今回、フランスでは、工場ばかり、工場跡、廃屋ばかり見て来ました。おそらく日本人のツアーで、美術館じゃなくて工場ばっかり見た集団はぼくらが初めてじゃないかと思うんですけれど(笑)。行く先行く先ですべて、そこを選んでいるわけですけれども、余った建物をアートスペースに改修するというのが当たり前というか、むしろそれ以外の方法は考えられないというくらいに、フランスではこういうことが定着している。

この場所のこの雰囲気っていうのが、フランスで見てきたこの怪しい、このどういえばいいんだろう、この新世界のエリアもそうだし、ゆるゆるした、怪しいものから新しいものが生まれてくる、そういう雰囲気を非常に持ったエリアで、それは決してここのフェスティバルゲートだけではなく、ヨーロッパでは日常茶飯に起こっていて、当然そういう場所はマルセイユもリールも市が大々的に支援してます。

 
 
 

 
>> 京都橘大学の小暮宣雄教授は、自治省でのご経験から、また「大阪市文化施策振興のための懇話会」の座長として、大阪の文化事業に関わっているお立場から、「芸術文化アクションプラン」の成立当初の理念と、自治体での文化行政について語ってくださいました。

大阪市てのは芸術予算が一番少ないというので有名でした。今もそうだと思います。逆に言うと、予算がかかるのはハードウェアですので、ハードウェアがないというのが強みでありまして、そういうもののしがらみがないということですね。で、アクションプランの話を簡単に言っちゃうと、そういう予算が少ないというなかで一番効果的に使うのは、ソフトウェアとヒューマンウェアに注力したらいいんじゃないか、というのが一番始めに考えたことです。

 
 
   
>> 最後に、大阪大学副学長の鷲田清一教授は、ご専門が哲学ということもあり、とてもあたたかな語調で、SAPの活動へエールを送ってくださいました。

もうすでに「お金がない」っていうことと、仕込みがたっぷりできる時間と場所があるっていうことが、実はここ(SAP)の特徴でもあるんですけれど、お金がないっていうのはいいことであって、大阪市が文化事業において全国からいろんな視察に来られるような注目を浴びているというのは、何度も出てきた公設民営だからだと思います。つまり家賃光熱費は提供するけれども運営に市は関与しない、民間でNPOを中心にやっていただくという、プロデュース自体を任せてしまうということですね。こういう形がとれたということが、つまり最低限のお金でやるということが、逆に今のアートとNPOの関係のあり方というのを大きく変えてしまって、先進的な事業として逆に脚光を浴びるようになったというのは、お金がないがゆえの僥倖だったと思います。

この場所をわかりやすく表現するために、最近気に入っている青木淳さんという建築家の言葉を引きます。(中略)『原っぱと遊園地』という本があるんですね。遊園地と原っぱの対比をしていて。この場所、フェスティバルゲートは、遊園地もあるけど完全に原っぱだというのがぼくの考えなんです。定義によると、遊園地と原っぱの違いは何かというと、遊園地っていうのは、あらかじめそこで行われることがわかっている空間。原っぱっていうのは、これは素敵な定義なんですが、そこでおこなわれることが、空間の中味をつくっていくような空間なんですね。